「…ところでクルサス。差し支えがなければ、あんたの旅の理由も聞かせてくれないか?」
ルーディオは話題を変えた。
「ええ。僕は…」
「お兄ちゃーん!」
クルサスが言いかけたところで、シャインがルーディオを呼ぶ声が聞こえてきた。
3人は声のする方を見る。
「食事の準備、できたよー!」
「分かった!すぐそっちへ行く!」
ルーディオはそう答えると立ち上がった。
「話は、食事の時に聞かせてくれるか?」
「はい。」
クルサスも立ち上がる。
「あ…。」
少しふらついて、額をおさえた。
「…大丈夫か?」
ファイエルが心配そうに訊く。
「…大丈夫です。少し、立ちくらみがしただけです。」
そういえば、自分がここ数日間、まともに食事をしていない事を、すっかり忘れていた。
ふらふらした足取りで、前を行く二人の後をついて行った。
その様子を見て心配になったのか、青く長い髪を持つレイナが、
クルサスの元へ駆け寄ってきた。
「凄くふらふらしてるけど、本当に大丈夫…?」
「あ…、はい。大丈夫です。具合が悪いというわけではないので。」
「そう…。それならいいのだけれど…。」
心配そうに声をかけてきたレイナに、やや力なくクルサスは答えた。
「レイナ、そんなに深刻な顔するな。
クルサスは腹が減ってるだけだから、食えば元気になる。」
「……。」
心配するレイナにルーディオはそう言ったが、彼女の表情は心配顔のままだった。
「…あの、そんなに僕、具合悪そうに見えますか?」
レイナがあまりにも心配するので、
クルサスは自分がどんな風に見られているのか気になって訊いてみた。
「うん。ものっすごく。それこそ、高熱出したまま戦ってたんじゃないかって位に。」
そう答えたのは、焦げないように鍋の中身をかきまわしているエメルディだった。
「(…それならあんな顔されるのも仕方ないか。)」
自分ではそんなつもりはなかったのだが、周りには相当具合が悪そうに見えていたらしい。
「そ、そうですか…。」
クルサスは苦笑いを返した。
「とにかく、どっかそこらに座りなよ。ほら、兄さんとファイエルも。」
エメルディに言われて、三人はそれぞれ腰を下ろした。
クルサスは、ふとライエンの方を見る。
こうして近くで見てみると、改めてその大きさに圧倒される。
人が5~6人は乗れるんじゃないかと思うほど、彼は大きかった。
「お兄ちゃん、ライエン起こしたほうがいいかな。」
「…そうだな。よく眠っているのを見ると、少し気が引けるが…。」
ルーディオの返事を聞くと、シャインはライエンの方へ駆け寄った。
「ライエン、起きて。」
シャインはライエンの前でかがんで、軽く彼をたたいた。
閉じられていた目が、ゆっくりと開かれる。
虚ろなその目は、吸い込まれそうな緑色をしていた。
目の横と下に、赤い模様がある。
「………何か、用…?」
ライエンはあくびを噛み殺しながら、眠そうに言った。
「うん。そろそろ夕食にするから、起きて。」
「もう…?ずいぶん早いね…。」
「うん。いろいろあって、今日早めに食べることにしたの。」
シャインはちらっとルーディオ達の方を見た。
クルサスは、ライエンの声が思っていたよりもずっと幼かったことに驚いた。
もっと大人の声を想像していたのだが、実際は18歳ぐらいの少年の声だった。
その大きな体からは想像もできないほど、子供っぽさを残した声だった。
ライエンは眠い目をこすりながらゆっくりと起き上がると、何かを呟いた。
彼の体が光に包まれたかと思うと、次の瞬間には、ライエンは人の姿をしていた。
クセのある、そんなに長くない髪を、下の方で結んでいる。
緑色だった瞳は、深い焦げ茶へと変わっていた。
そして、両頬には逆三角形の黒い模様があった。
「……もう少し、ゆっくり眠らせて欲しかったな…。」
そう言ったライエンの声は、まだ眠そうだった。
「ごめんね。でも、食事の後に時間があるから、その時にゆっくり休んで。」
シャインが申し訳なさそうに言う。
「うん。分かった。」
二人はルーディオ達の待っている所へ向かって歩き出す。
「あれっ……。」
「どうしたの?ライエン。」
足を止めたライエンに、シャインが不思議そうに訊く。
「もしかして…、クルサス?」
「…!?そう…ですけど…。何故、僕のことを…?」
クルサスは目を丸くした。何故、古の黒竜である彼が、自分の事を知っているんだ…?
「……!?僕のこと、覚えてないの…?
4年前、僕は君のことを送り出したじゃないか…。なにか、あったの…?」
心なしか、彼の目に寂しげな光が射したように見えた。
「ライエン、お前、クルサスのこと知ってるのか?」
ルーディオが、意外だ、というふうに訊いた。
「…うん。クルサスがずっと幼かった頃から知ってるよ。」
この返答には、5人の兄妹全員が驚きの表情を隠せなかった。
クルサスはうつむいた。自分を幼い頃から知っている彼の事を…、思い出すことが出来ない。
いろいろと考えているうちに、ふと、ある疑問が浮かんだ。
「あの…。」
ライエンに尋ねようと、クルサスは声をかける。
「何があったのか、できれば教えてほしい。でも、まずは君の質問に答えるよ。
…君の言いたいのは、彼らが僕の封印を解いたのは半年前なのに、
幼い頃から知っている、というのは話があわないってことでしょ?」
ライエンはそう言うと、クルサスのそばに座った。
「え、ええ…。」
心の内を見透かされたような気分だった。
僕を幼い頃から知っているから、僕の考えることも分かってしまうのだろうか…。
「ライエン。お前のことは、粗方クルサスに話しておいた。だから…」
「うん。そうみたいだね。寝ながら聞いてた。」
「……器用なうえに耳のいい奴だな。」
当り前のように返事をするライエンに、流石のルーディオも呆れ顔だ。
「お前なら、俺が話した理由も分かってるんだろ?」
「クルサスが正の気に満ち溢れていたから…、でしょ?」
「正解だ。そうでなければ、重要な事をベラベラと話すようなことはしない。」
クルサスは、二人のやり取りをあっけにとられながら見ていた。
「話に花を咲かせてるところ悪いけど、いい加減食事にしない?
アタシ、鍋かきまわすの疲れちゃった。」
彼らが話をしている間、エメルディはずっと鍋の中身をかきまわしていたらしい。
「ああ、そうだな。すっかり忘れていた。」
ルーディオが、そういえばそうだったというような口ぶりで言った。
「クルサスだって目の前で待ってるのは辛いだろうし。」
エメルディが器に料理をよそいながら言う。
「あ、僕も食事のこと忘れてました。」
「おいおい、何日も飯食ってねェのによく忘れられるな。」
ファイエルが呆れたように言った。
「ま、食い意地張ってるあんたには無理よね。」
「んだとぉ?」
「まぁ、アタシも少し呆れちゃったけど。…はい、これ、クルサスの分。」
喧嘩腰のファイエルをさらっと流すと、エメルディは料理を器に盛ってクルサスに渡した。
「あ、ありがとうございます。」
クルサスは苦笑いを返してから、器を受け取った。
「…あのさ、そろそろクルサスが言おうとした疑問に答えたいんだけど、いいかな?」
「ええ。食べながらいろいろお話しましょう。」
少し遠慮気味に切り出したライエンに、レイナが答える。
「…僕は確かに、500年前に封印された。
でも、流石の賢者でも、僕の魂までは封印できなかったみたいなんだ。」
ライエンは真面目な表情で話し始めた。
「…ということは、封印されたのは肉体だけ、ということですか?」
「うん。それで、封印されてから100年くらい後に、
何とか仮の器となるものを作り出すことに成功した。
それを使って、つい半年前まで生活してたんだ。
でも、ときどき拒否反応をおこして、発作を起こしたり暴走したりして、
みんなには迷惑をかけてしまったけれど…。」
ライエンはそこで言葉を切り、ルーディオ達をかわるがわるに見た。
「何言ってんだよ!お前の今までの苦労と比べたら、迷惑でも何でもないって!」
「そうよ。ライエンはわたしたちの大切な仲間だもん。」
ファイエルとシャインが口々に言う。
他の三人も目でそう言っている。
「…みんなはいつもそう言ってくれるね。ありがとう。」
ライエンは微笑んだ。5人の兄妹達も微笑み返す。
「これで、答えになったかな…?」
「はい。…とても、大変だったんですね……。」
「うん。…でも、彼らがいてくれたから、僕はここまでやってこれたんだ。
僕が本来の姿を取り戻すことができたのも、彼らのおかげ。すごく感謝してるよ。」
「ルーディオさん達に出会えて、よかったですね。」
「うん。」
そこで、会話が途切れた。
火がパチパチと燃える音と、料理がグツグツと煮える音が聞こえる。
「…そうだ、クルサス。」
ルーディオが切り出す。
「あんたの旅の理由を、まだ聞いてなかったな。話してくれるか?」
「そういえば、話そうとしたところで呼ばれたんでしたね。」
「ああ。」
クルサスは少しだけうつむいた。
「…理由は二つです。ひとつは、自分が偽りを持たずに生活できる場所を見つけること。
もうひとつは…、失ってしまった幼い頃の記憶を、取り戻すためです。」
「……!」
理由を言った瞬間、ライエンは思い詰めたように、表情を少しこわばらせた。
それは、クルサスにも、ルーディオ達兄妹にも分かった。
「さっき、君は僕のことをわからないようだったし、まさかとは思ったけど…。
ねぇ、クルサス、どれくらいまで思い出せる…?」
「だいたい4年ぐらい前のことまでなら、思い出せるんですけど…。それ以前は全く…。」
クルサスは目を細めた。
何度記憶をたどっても、いつも同じところでブッツリと途絶えてしまう。
「……。そっか…。」
ライエンもうつむいた。
「原因は分からないの?」
「…分からないです。」
シャインの問いにクルサスはそう答えて、首を横に振った。
「具体的に、どの辺りまで覚えてる?」
今度はルーディオが問う。
「…一人で旅をしていて、休息をとっているときに、突然激しい頭痛に襲われて…、
過去を思い出せなくなったのは、それからだったと思います。」
「……。」
「でも、その日は満月の夜で、自分が林道にいたのは覚えてます。」
「そうか。…時期は覚えているか?」
「時期…。」
クルサスは視線を外して記憶をたどる。
「何月ごろとか、もしくは大雑把な季節とか、何か覚えてないか?」
「…。風が冷たかったような記憶があるので、おそらく秋ごろかと。」
ルーディオの方へ向き直り、そう答えた。
「そうか。…それが、大体4年前の話なんだな?」
「はい。」
ルーディオは何かを考えるような仕草をした。
「ライエン、クルサスの話を聞いて、何か思い当たることはないか?」
ルーディオは、今度はライエンに対して回答を求める。
「僕がクルサスを島から送り出したのは、島の木々が少し色づき始めたころだった。
もしクルサスの話が本当に4年前の出来事なのであれば、
僕とクルサスが分かれてから、それほど時間はたっていないかもしれない。」
ライエンはだいぶ落ち着きを取り戻したようだ。
「つまり、ライエンと別れてすぐ、クルサスは記憶を失ってしまったことになるわね。」
「そう…ですね。」
レイナのまとめた答えに、クルサスは肯定した。
「…やっぱりあの時、別れないで一緒にいれば…、少しは違ったのかも…。」
ライエンは目を閉じた。あの時側にいてやれば、こんな事にはならなかったのかも知れない。
そんな思いが、彼の頭をよぎった。
「ライエンさん、そんなに…自分を責めないで下さい。
確かに、僕は記憶を失って、どのくらいあなたと関わってきたか…、
今は分からないですけど…。
でも、これから少しずつ、ゆっくりと取り戻していこうと思っています。
どれくらいかかるかは分かりませんが…、気長にやっていこうと思います。」
自分を責め、一人で抱え込もうとするライエンに、クルサスは自分の素直な考えを伝えた。
ライエンに向けられた顔には、かすかな微笑すら浮かべられている。
ライエンは、クルサスの微笑みにはっとさせられた。
「…記憶を失った君自身が、一番大変なはずなのに…。
どうやったら、そんなに前向きでいられるのかな…。
……ありがとう、クルサス。僕も、君のこと見習わなきゃな。」
ライエンに、笑顔が戻る。クルサスも笑顔で返した。